3つの会場

今年は、以下の3会場を結んだリレーライブを行います。
各会場でのライブと、高畑の街をお楽しみください。

名勝 旧大乗院庭園

大乗院とは、1087年(寛治元年)に創建され、平安時代から江戸時代に栄えた門跡寺院のひとつ。(藤原氏の子弟が入室し、興福寺の別当職を輩出していた。)治承4年(1180年)の南都焼き討ちによる焼失後に現在地に移り、廃仏毀釈の影響で明治初年に廃寺となるまで存続していました。現在、その敷地内の一部が奈良ホテルとなっています。

同庭園は室町時代の徳政一揆で荒廃しましたが、その後門跡尋尊大僧正の依頼により、室町時代に活躍した作庭の名手善阿弥によって改造されます。将軍足利義政を始め公家たちがしばしば拝観に訪れ、以降、明治初頭まで南都随一の名園と称えられていました。

 

一時は奈良ホテルのテニスコートやパターゴルフ場が設置されたこともありましたが、戦後その一部が整備され、1958年(昭和33年)国の名勝に指定されるに至りました。

 

1995年からは奈良文化財研究所による発掘調査と並行して、江戸時代末期の門跡・隆温が描いた「大乗院四季真景図」をもとに復元工事が進められ、この度平城遷都1300年祭に伴い、一般公開を開始いたしました。

志賀直哉旧居

旧志賀直哉邸は、昭和初期に志賀直哉自身が設計したものです。

数寄屋風の造りですが、洋風の様式も取り入れた当時としては非常に進歩的で合理的、美的な工夫を随所に凝しているのが特徴です。

 

昭和53年に厚生省(現厚生労働省)より奈良学園が譲り受け、保存に努めるとともに、広く一般の方々に公開し、各種公開講座の開催等で利用できるセミナーハウスとして用いています。

 

【志賀直哉と奈良】

大正14年(1925年)、 京都・ 山科から奈良・幸町に居を移した志賀直哉は幸町の借家で4年間を過ごした後、この上高畑町に宅地を求めます。自ら設計の筆を執り、友人の画家・浜田葆光に紹介を受けた京都の数寄屋大工の棟梁・下島松之助に邸宅の建築を依頼しました。

大正元年から始まった自身の真のありかを求め続ける彷徨の過程で、東洋の古美術と向き合った直哉は、大正15年には美術図録「座右宝(ざうほう)」を編纂しました。昭和4年に移り住んだこの上高畑の邸宅は奈良公園に隣接し、御蓋山、春日山、若草山、高円山などを借景とし、自然の風景に恵まれ、静寂でしかも明美です。直哉は、奈良特有の自然美と静寂に心をひかれ、執筆活動を行い、昭和12年には長編小説「暗夜行路」を完成しています。

 

この地はまた、歴史的な古寺社を訪れるにも近くて便利であり、古美術の研究をするためにも理想的な土地でありました。

志賀直哉が壮年期の13年間(大正14年4月から昭和13年4月)を過ごした奈良での暮らしは、多くの文化人たちと芸術を論じ、時には遊びに興じて、友人・知人たちとの心の交流を大切にした時間であり、家族の平和と健康を望み、子供たちの家庭教育を行い、家族の絆を育んだ生活でした。

「兎に角、奈良は美しい所だ。自然が美しく、残っている建築も美しい。そして二つが互いに溶けあってゐる点は他に比を見ないと云って差支えない。今の奈良は昔の都の一部分に過ぎないが、名畫の殘欠が美しいやうに美しい。御蓋山の紅葉は霜の降りやうで毎年同じやうには行かないが、よく紅葉した年は非常に美しい。5月の藤。それから夏の雨後春日山の樹々の間から湧く雲。これらはいつ迄も奈良を憶う種となるだろう」直哉は随筆「奈良」(志賀直哉全集7巻)の最後にこのように書いています。

入江泰吉記念奈良市写真美術館

奈良を愛し、奈良に愛された写真家・入江泰吉。同氏より生前に全作品と愛蔵品を寄贈されていた奈良市が1992年(平成4年)に写真美術館を建設し、「奈良市写真美術館」として奈良市高畑町に開館しました。

入江泰吉氏の作品を中心に、展示と保存・研究活動を行っています。

また、黒川紀章氏の設計による建築も見どころのひとつで、新薬師寺の隣という歴史的な環境との調和に留意し、展示室など大部分は地下に埋め込まれています。